今回は、栗東市観光ボランティア協会の会員として、また、NPO街道まちづくりの会の会員として、栗太八景漢詩碑に関心を持ち、またガイド等もされているレイカディア大学22期卒業の吉田進氏を取り上げました。次の文章は吉田氏の栗太八景漢詩碑についての解説です。
「栗太八景」は、近江八景が普及した江戸時代中期の寛延3年(1750年)に、今の栗東市大橋の慶宗寺( キョウソウジ)の僧致遠(チオン)通称素月が、栗太地域の八景観を漢詩に詠んだのが始まりです。漢詩は、近江八景と同様に八景文化の所産ですが、地域限定で里内文庫に留まり平成初期まで広く紹介されませんでした。「栗太郡」の名称は、栗太郡栗東町の市制により平成13年に消滅しました。しかし、「栗太」の地名を消さないために、栗太八景漢詩碑の建碑があり、「栗太」の名称を後世に伝える使命を果たすことになります。そして、平成11年1月から10年を費やし、地元関係者の方々の協力もあって、それぞれに有為転変を経て、設立意義を得て平成21年6月に完成しています。漢詩碑の建碑に合わせ、漢詩に添えた水墨山水画も作図され、絵画に堪能な方の協力もあり、葉山川にかかる葉山川橋の欄干に陶板にして設置されました。
八景は、自然界の気象や光の変化を地名と合体しており、地域の「光もの」とする景観を現しているものと定義され、各地に広く普及しています。
なお、3月12日に散策を兼ねて吉田進氏に案内してもらい漢詩碑めぐりをしてきました。珍しい漢詩碑が神社や寺院の境内だけでなく民家の庭先にまで設置されているのに驚きました。以下は訪れた漢詩碑の現地の写真と共に、葉山川橋の欄干に設置された水墨山水画の陶板も掲載しています。
【文責:中嶋理文】
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葉山川橋の栗太八景の陶板 |
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